新潟県中越地震復興支援活動(第7報)

 11月22日(月)〜23日(祝)の現地レポートです(岡田副代表より)。

 21日の”みつわ台防災訓練”の講師を無事終了し、同日深夜、愛車スパシオにDIOBAJAを詰め込み(積載に1時間を要した)、水野副事務局長とともに川口町に再出動しました(水野さんは、梅号+ハンターカブ。22日のみ)。
 出発時には激しい雨が降っていましたが、現地到着時には既に上がっていました。懸念されていた路面凍結ですが、翌日も含めて暑いくらいの気温で(23日の朝は寒かった!)、藤原隊員より借用したスタッドレスタイヤの出番はありませんでした。

 22日は、両名伴に「バイク班」からかわった「車輌班」に配属され、水野さんは主に小千谷までの買出し(2往復)、岡田は終日送迎車輌の配車を担当しました。発災直後に現地入りしていた事もあって、川口町の被災状況(特に道路状況)と地理に明るかった事から、適切なサイズの車輌(軽〜マイクロバス)を効率的に配車する事ができたと思います。
”専門ボランティア”としてのバイク隊の使命が終わった後の、元バイク隊員の”再就職先?”として適切な部署ではないかと考えます(「車両班」よりは「サポート班」としてVCの雑用全般を受持つとさらに効率的か?)。。
 この日は埼玉RB、神奈川RBからの出動もあり、「活動班」に配属されて現場作業にあたっていました(23日も)。

 23日は早朝に到着した大月副隊長と川口町峠地区出身の大月隊長の知人の3名で、主に木沢地区と最後まで孤立していた、峠地区の親戚筋や墓地をまわり、被災家屋の応急処置や墓石の立て直しなどを行いました。
 地元出身者と同行していた事もあって、VCで閉鎖的と批判のあった地区の被災者の方々とも親しく接していただくことができ、本当の意味で被災者に喜んでもらえる活動ができたと思います。
 帰路は八日市場の清藤SLと3名で塩沢石内SAで”越後もちぶたトンカツ定食”を賞味し、関越トンネル直前での事故通行止めにもめげず、同日中に帰宅しました。


積める(詰める)もんですね 木沢峠より峠地区を望む 法面が崩落した錦鯉養殖場
土壁が崩れています 浴室です(壁が崩落しています) 台所